自分自身と向き合う
来週、オルガンインスタライブをやらせていただくため準備をしています
今回は全部の曲がそれぞれに濃いものがあり
ひとつひとつ、曲から感じるもの(作用する場所?もの?)がそれぞれにあるような気がしています。
現段階で感じている、ひとつひとつの曲について書いてみます
まず、
主よ、人の望みの喜びよ→瞑想的
カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲(アヴェ・マリア)→懇願、苦しみ、人間の小ささや愚かさから見る神?という存在の次元の違い、大きさ、クリアになる
我、汝を呼ぶ、主、イエス・キリストよ→とにかくメロディーが強い、圧、無になる感じ、曲の冒頭にこの曲の言いたいことの予告から始まっている
大いに喜べ、我が魂よ→自分の内側、魂?が本当に喜ぶとはどういうことなのか、芯から出てきたり、喜びや自分自身が広がり波及することについてを考えさせられる
一曲一曲、それぞれに詰まっている感じがしています。
さておき、
ここ最近、自分自身において向き合うことが続いています。
そんな中、ふと
世の中で活躍している人は自分が思ってるよりはるかに努力したり、失敗したりいい事だけじゃない事もあったり、自分自身と向き合ったりしているのかもしれない、と思いました。
私はそういうのがみんななくて、簡単にやっていると思っていましたが(そういう人もいるかもしれないけど)
そうやってもがいた分、いいものになっていくのかもしれないと思いました
シリウスよしきさんが
昔の作曲家はみんな大変な思いして曲作ってきたのに、自分だけ楽にいこうとしたらダメですよ と言っていたことを思い出しています
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