縁について 繋げるのも育てるのも自分
来月の荻窪音楽祭の企画で弾かせていただくパイプオルガンは北イタリアのアルプス山脈の麓テーゼロで作られた、ということが判明したわけですが
以前、聖書を教えてくださった修道士ジュリアーノ先生の生まれ故郷の近くでした。
(先生の元でイタリア絵画フラ・アンジェリコの作品を通して、原書に近い聖書の解釈や本場の空気を学ばせてせていただく、ということをやっていました)
今回のパイプオルガンに、少なからずも縁があることが分かった、ということなんですが
何が言いたいかというと
関係なさそうなことにも何かの縁がある
ってことがあって
縁があること、又は例えなさそうに思えるようなこと、どちらの場合も大切にできる自分でいたいな、と思いました。
繋がりがあってもなくても自分から繋がっていく気持ち
(自分にいっぱいいっぱいだったり、己の怖れが出てそういう気持ちになれないことが多いからますます思う)
さらに発展して
人生において、縁を育てて繋げてさらにいいものにしていくのは自分自身のもつ力、もあるかもしれないなぁ、と感じました
前起きが長くなりましたが
オルガン制作者
アンドレア・ゼーニさんのウェブサイトです(日本語)
0コメント