上手い下手では測れない。その人の存在に価値がある
音楽は技術を習得する関係で上手い・下手が時につきまといます。
先日、ある懐かし世代の某大物歌手の歌を耳にしました。
大変失礼ながら、決して上手いものではなかったんです(クラシック業界の目線から見た技術的な部分という意味)
そんなこといって、あんたも上手い・下手言ってるやんけ!と思わないでください。
そんなことではなく、上手い下手より、その人の存在や、生き方などを感じ、
それが醸し出されてくるところに魅力を感じることがあると思ったからです。
その人の歌を聴いて、私は上手いから良い、だけではないものがあることを思いました。
もし、上手いだけで判断されていたら、その歌手は誰もが知っている人気歌手には
なっていないのではないでしょうか?
だから、それだけではないはずなんです。
単に上手い下手などでは測れないものがあるってことなんです。
もちろん、上手いから好き、ということもあるでしょう。
どこを好きになろうと、それは、本当に自由ですよね
でも、ここでいいたいのは、上手いものだけがすべてではないのだ、ということです。
先日、たまたま見たものの中に、某オーケストラの演奏における批判がありました。
ある金管セクションの失敗が痛烈に批判されていたのですが、鬼の首をとったような行いに
心が痛みました。
その人の裏側を知っているのでしょうか?どのようにここまで歩んできたか知っているのでしょうか?
その人の裏側を見る、心の余裕と優しさがあるといいですね
技術も大切ですが、技術的なことよりも、大切なこと・素敵なことがある。
上手いのが好きな人を否定しているわけじゃないんです。
人それぞれなので、自分の好きな世界で生きていくのがいいですね。
自分の「好き」でいいんです
でも最近、上手い・下手問題に遭遇することが多かったので、怒怒(オコオコ)しちゃうよ!
ということです
「間違えっていいじゃない、機械じゃあるまいし」 フジコ・ヘミングより
0コメント