演奏曲の解説「オペラ座の怪人」
6/23にさせていただいた、オルガン&ヒーリングセレブレーションの会で演奏した曲「オペラ座の怪人」について、私なりの解説を綴ってみたいと思います。
「オペラ座の怪人」
ミュージカルオペラ座の怪人の代表曲ですね。
ニ短調のD(レ)の音から力強く半音で下がり、また上がりもとのレの音に戻る・・・
これがミステリアスや不気味さ・恐怖を感じさせるような音で、さらにこれが冷静に繰り替えされ、
忘れられないような強烈なインパクトを与えてきます、と、楽曲分析はここまでにして・・・
オペラ座の怪人ファントムは、顔に生まれつきの奇形があるため、マスクで顔をかくしています。
顔の傷のことが原因で母親に愛されず、見世物小屋で見世物にされ続けてきた過去があります。
今回、演奏するにあたり、オペラ座の怪人の映画を観たのですが、物語が進むにつれて自分なりに思ったことがありました。
あれ?ほんとなのかな、ないような気がしてきた。
ファントムは顔の傷があり、マスクで隠し、隠れて暮らし、オペラの作曲や舞台演出の才能があるにも関わらず表に出てこれないのは、自分が醜い、受け入れてもらえないと思っているからですよね。
顔が醜い!だから不幸なんだと言っているファントム自身が現実と思っていることは本当なのか?
自分が醜いと思っていることが、幻想、幻だったら?
と、そういった今お話の中で事実として繰り広げられていることが、ある瞬間なんだかまぼろしの様な気になりました。(ないような気がした)
自分で自分を醜いと思うがために、それが強化され、その現実をさらに創り上げていることが
あるのではないか?
でも、こういうことは怪人だけじゃなく、私たちの日常にもあると思うんです。
私はダメだ、とか、人より劣っているなど、思いこんでいることがありますよね。
ダメだと思っているから、ダメな自分になり、出ていけない。
行動的にも精神的にも隠れてしまう。
でもダメじゃなかったら?
ダメというのは誰が決めたのでしょうか
いいと言ってくれる人もいるかもしれないのに?
ファントムが抱えていた顔の傷のことや母親に愛されなかったことが幻想ならば
そこにとらわれず自分の生きたいような現実を創っていくことができる。
たとえば、その作曲や舞台演出の才能を自分自身の輝きとして表に出していく、という現実を創っていけるのではないでしょうか
過去に起こった自分にとっての傷や、それで前へ進めないようなことも、もしまぼろし・何もなかったのなら新しく自分の生きたい現実・好きなことを書き込んでいける!
現実なんて、何が本当かわからないです
そしたら、自分の生きたいシナリオを書き込みたいですね
ちなみに、ファントムとは、幻・幻影・幻想・幽霊という意味だそうです。
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